三青州古城寺塔者。代歷周秦莫知其地。石趙時佛圖澄者在鄴。勒虎敬重廣置寺塔而少露盤。方欲作之。澄曰。臨菑城中有阿余王寺。猶有佛像露盤在深林巨樹下。上有伏石。可尋而取也。虎使求之。依言指授。入地二十丈獲之。至鄴阿余阿育聲之轉耳。須訪故地處所。故慧達在冥中告云。雒陽臨菑建鄴鄮縣成都五處並育王塔。禮者不入地獄。故知此塔不虛名也。
三つの青州にある古城の寺塔は、周や秦の時代から存在し、その正確な場所は知られていません。石趙の時代、仏図澄という僧が鄴にいました。石勒と石虎は彼を敬い、多くの寺塔を建てましたが、露盤(塔の頂上の装飾)が不足していました。ちょうど露盤を作ろうとしていた時、澄は言いました。「臨菑の城中に阿余王寺があり、その深い森の巨木の下に、まだ仏像と露盤が残っています。上には伏石がありますから、探して取り出すことができます。」虎は人を遣わして探させると、澄の指示通りに、地下二十丈の深さでそれを見つけました。鄴に運ばれた「阿余」は、「阿育」の音が転じたものに過ぎません。元の場所を訪ねるべきです。かつて慧達が冥界で告げたように、「洛陽、臨菑、建鄴、鄮県、成都の五か所には、いずれも阿育王の塔があります。そこを礼拝する者は地獄に堕ちることはありません。」ですから、この塔が虚名ではないことがわかります。