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title: "根本說一切有部毘奈耶 · 15 作新敷具不為壞色學處"
description: "根本说一切有部毗奈耶是唐代高僧义净翻译的佛教律典，属于说一切有部的根本律藏。义净于7世纪赴印度求法，归国后系统译介有部律典，此部毗奈耶是其重要成果。内容涵盖比丘、比丘尼戒律条文及制戒因缘，详细规定僧团衣食住行等日常规范，是有部律学的核心文献。该典籍反映了印度佛教僧团的组织形态与戒律思想，对研究部派佛教及中国律宗发展具有重要价值，在汉传佛教律藏体系中占有权威地位。"
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### 作新敷具不為壞色學處第十五

> 第十五条 新しく敷物を作る際に、色を壊さないための学処

佛在室羅伐城逝多林給孤獨園。爾時世尊得無上智已，於其四方有大名稱，皆聞中國有佛出世。時北方商人聞佛出世，若有人能興供養者，得大果報得大利益，名稱遠聞資財巨富。聞斯事已作如是念：「我今宜應持諸貨物往室羅伐城，一、得求利潤；二、得禮覲世尊。」作是念已，便與五百商人將北方貨物往趣中國。時諸商人至室羅伐，安貨物已即便往詣給孤獨長者所作如是言：「長者當知！我等今欲禮覲世尊。」長者答曰：「善哉！善哉！能生妙意。如來、應、正遍知是應禮敬，實難會遇時乃一現，如烏曇跋羅華。」作是語已，長者即便將彼五百商人往詣佛所，頂禮佛足在一面坐。爾時世尊即為長者及五百商人宣說法要，示教利喜令信樂已默然而住。時諸商人聞法歡喜禮佛而退，即便往詣耆宿苾芻而申禮敬，復欲遍觀房舍及大眾苾芻。時給孤獨長者將諸商人周遍觀看，時彼商人見諸苾芻於床褥上尼師但那中間穿破，問長者曰：「何意諸大耆宿苾芻尼師但那中間穿破？」長者報曰：「諸尊宿苾芻夜多端坐乃至天明，由此因緣並多穿壞。」時諸商客極生敬重，便將五百妙疊奉施眾僧。時諸苾芻既得疊已作新尼師但那，所有故者近一舊房，安在露地總為一聚。

> 仏は室羅伐城の逝多林、給孤独園におられた。その時、世尊は無上の智慧を得て、四方に大きな名声が広まり、「中国に仏が現れた」と人々が聞き及んでいた。 ちょうどその頃、北方の商人たちが仏の出世を聞いた。もし供養する者があれば、大きな果報と利益を得られ、名声は遠くに聞こえ、財産も莫大なものになるという。これを聞いた商人たちはこう思った。「今こそ商品を携えて室羅伐城へ行くべきだ。一つには利益を得るため、二つには世尊を拝見するためである。」そう決心し、五百人の商人は北方の品物を携えて中国へと向かった。 商人たちは室羅伐に到着すると、まず商品を置き、給孤独長者のもとへ行ってこう言った。「長者よ、私たちは世尊を拝見したいのです。」長者は答えた。「それは良いことだ。素晴らしい願いを持たれた。如来、応供、正遍知は拝むに値するお方であり、実際にお会いするのは難しく、時々しか現れない。それは烏曇跋羅華のようなものだ。」こう言って、長者は五百人の商人を連れて仏のもとへ行き、頭を仏の足に礼して一方に座った。 そこで世尊は長者と五百人の商人のために法の要を説き、教え示して利益と喜びを与え、彼らに信心と喜びを起こさせた後、黙っておられた。商人たちは法を聞いて喜び、仏に礼して退出し、次に年長の比丘たちに挨拶をした。さらに、僧房や大勢の比丘たちを見学したいと思った。そこで給孤独長者は商人たちを連れてあちこち見て回った。 その時、商人たちは比丘たちの座具（尼師但那）の真ん中が擦り切れているのを見て、長者に尋ねた。「なぜ年配の比丘方の座具は中央が擦り切れているのですか？」長者は答えた。「尊者たちは夜に長時間座禅し、明け方まで続けるため、そのために擦り切れてしまうのです。」商人たちは深く敬服し、五百枚の上等な布を僧団に布施した。 比丘たちは布を得て新しい座具を作り、古い座具は全て古い小屋の近くの露地に一か所に積み上げた。

爾時有一長者，請佛及僧就家設供。時諸苾芻時至皆去，唯佛世尊獨留在寺令人取食。然佛世尊有五因緣不赴請處。云何為五？一、為宴默而居；二、為諸天說法；三、為觀察病者；四、為看諸臥具；五、為苾芻制其學處。此中世尊意欲看其臥具，并欲為諸苾芻制其學處不赴請家。爾時世尊，苾芻出後未久之頃，便持戶鑰隨處經行周遍觀察，詣一舊房，見諸苾芻以故尼師但那聚之一處，糞掃和雜狼籍在地。世尊見已作如是念：「諸有施主深心信敬，如己血肉割以相供修諸福業。然諸苾芻捨故敷具非量受用，無愛護心隨處棄擲。」爾時世尊取故敷具，翻轉抖擻安在架上，便於房外洗手濯足房中端坐。時取食苾芻持食來至往世尊所，世尊法爾共取食苾芻歡喜言問：「諸苾芻眾飲食好不得飽滿不？」取食苾芻白言：「世尊！大眾皆得飲食飽滿。」世尊食已洗手濯足，還入房中寂默而住。世尊晡時從定起已，往大眾中就座而坐，告諸苾芻曰：「汝等去後未久之頃，我持戶鑰隨處經行周遍觀察，詣一舊房，見諸苾芻以故尼師但那聚之一處，糞掃和雜狼籍在地。我時見已作如是念：『諸有施主深心淨信，如己血肉割以相供修諸福業。然汝苾芻於故敷具非量受用，無愛護心隨處棄擲。』此非善事。汝諸苾芻！若於他信心施物，稱量愛護順時知足而受用者，斯曰善哉！」爾時世尊讚歎愛護順時知足受用信施已，告諸苾芻：「廣說乃至制其學處，應如是說：

> ある時、一人の長者が仏と僧団を自宅に招いて供養を設けました。僧侶たちは皆、時間になると出かけましたが、仏陀だけは寺に残り、人を遣わして食べ物を取り寄せられました。しかし、仏陀には招きに応じない五つの理由があります。それらは何かというと、一に静かに瞑想しておられる時、二に天の人々に説法しておられる時、三に病人を見舞っておられる時、四に寝具を点検しておられる時、五に僧侶たちのために戒律を定めておられる時です。この時、仏陀は寝具を点検し、僧侶たちのために戒律を定めようと思われたので、招きに応じませんでした。 さて、仏陀は僧侶たちが出かけた後、間もなく鍵を手に取り、あちこちを歩きながら寺全体を見回り、ある古い部屋に来られました。そこでは僧侶たちが古くなった座布団を一か所に集め、ゴミや塵と混ざって無造作に散らかしたままにしていました。これを見た仏陀はこう思われました。「施主たちは真心からの信仰をもって、自分の血肉のように惜しみなく捧げ、様々な善い行いを積んでいる。それなのに、僧侶たちは古くなった敷物を過剰に使い、大切に扱う心もなく、あちこちに投げ捨てている。」そこで仏陀は古い敷物を手に取り、ひっくり返してはたくと、それを棚に掛け、部屋の外で手と足を洗い、部屋の中に静かに座られました。 その時、食べ物を取りに行った僧侶が戻ってきて、仏陀のもとに食べ物を運びました。仏陀は決まりとして、食べ物を持って来た僧侶に喜んでこう尋ねられました。「僧侶たちは皆、食べ物は良かったか、十分に食べられたか？」食べ物を持って来た僧侶が申し上げました。「世尊よ、皆、食べ物は十分にいただき、満足しました。」仏陀は食事を終え、手と足を洗い、部屋に戻って静かに座られました。 夕方、瞑想から起きられた仏陀は、僧侶たちの集まっている所に行かれ、席に着かれると、こう告げられました。「あなたたちが出かけた後、私は鍵を持ってあちこちを見回り、ある古い部屋に来た。そこでは僧侶たちが古くなった座布団を一か所に集め、ゴミや塵と混ざって無造作に散らかしたままにしていた。それを見て私はこう思った。『施主たちは真心からの清らかな信仰をもって、自分の血肉のように惜しみなく捧げ、善い行いを積んでいる。それなのに、あなたたち僧侶は古くなった敷物を過剰に使い、大切にする心もなく、あちこちに投げ捨てている。』これは良いことではない。僧侶たちよ、もし他の人からの信頼による施し物を、よく考えて大切に使い、状況に応じて足ることを知って受けるならば、それは善いことである。」こうして仏陀は、他者からの信頼による施しを、大切にし、状況に応じて足ることを知って受けることを称賛されました。そして僧侶たちに告げられました。「詳しくは戒律を定めることになる。次のように説くべきである。」

「若復苾芻作新尼師但那，應取故者堅處縱廣佛一張手帖新者上，為壞色故。若苾芻作新尼師但那，不以故者帖新者上，為壞色故，泥薩祇波逸底迦。」

> もし比丘が新しい坐具（尼師但那）を作るならば、古くなった坐具から、しっかりとした部分を縦横に仏の一握りの大きさに切り取り、それを新しいものの上に貼り付けて、汚れた色をほどこさなければならない。もし比丘が新しい坐具を作るのに、古いものを新しいものに貼り付けて汚れた色をほどこさなければ、泥薩祇波逸底迦（捨堕罪）となる。

苾芻義如上。

> 比丘の意味は、上に述べた通りです。

新有二種：一、謂新作，二、謂新得。此中意取新作。

> ここに「新」には二つの意味がある。一つは「新たに作る」こと、もう一つは「新たに得る」ことである。このうち、ここでの意図は「新たに作る」方を取る。

尼師但那者，謂是敷具。

> 尼師但那とは、敷物のことです。

作者，謂自作或使他。

> 「作者」とは、自分で行うこと、または他人に行わせることを指す。

言故尼師但那一邊者，謂於舊尼師但那割取一邊堅好之處。

> 「旧の尼師但那（座布）の一辺を切って取り、その中でしっかりとした良い部分を取ることである。」

佛一張手者，謂大師也，其一張手當中人一肘半。

> 仏の一手の広がりは、大師（釈迦）のものを指し、その一手の広がりは、人の一肘半に相当する。

帖新者上者，謂刺在新者上。

> 新しいものの上にあるものを「上」というのは、刺（はり）が新しいものの上にあることを指す。

為壞色故者，為欲令其得堅牢故。

> 坏色のためとは、比丘たちが衣服などを派手でない色に染めることで、その衣が長く持ちこたえるようにするためである。

若不帖者得泥薩祇波逸底迦，其捨悔法式並如上說。

> もし〔衣を〕貼り付けないならば、泥薩祇波逸底迦（尼薩耆波逸提）の罪を得る。その捨てて悔いる方法の作法は、すべて上に述べたとおりである。

此中犯相其事云何？若苾芻以故尼師但那，如佛一張手帖著之時，若減一指半指者，亦得泥薩祇波逸底迦。無犯者，若以故者遍覆新者，或總破碎不堪補帖新尼師但那者無犯。又無犯者，最初犯人，或癡狂、心亂、痛惱所纏。

> ここで、どのような場合に犯しとなるのか。もし比丘が、使われて古くなった坐具（尼師但那）を、仏が定めた一束の長さ（一張手）に合わせて継ぎ当てをする際に、指一本半ほど短くても、それは泥薩祇波逸底迦（捨堕罪）となる。ただし、犯しにならない場合もある。例えば、古いもので新しいものを覆う場合、あるいは全体が破れてしまって継ぎ当てができない場合、新しい坐具を作ることは許される。また、最初にこの戒を制定される前に犯した者、あるいは心が乱れている者、正気を失っている者、苦痛に悩まされている者には、犯しはない。