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title: "法苑珠林 · 18 僕乘部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 僕乘部第十八

> 第十八章 僕乗の部

問曰。諸天僕乘云何。答曰。如經說云。如欲界六天有僕乘。僕謂僕從。乘謂騎乘。以六欲天皆有君臣妻妾尊卑上下。卑必從尊。下必隨上。乘者以六欲天皆有雜類畜生。諸天欲游隨意乘之。或乘象馬。或乘孔雀。或乘諸龍。若依婆沙論說。忉利天已下具有象馬鳧雁鴛鴦孔雀龍等。自焰摩天已上悉無象馬四足眾生。唯有教放逸鳥實語鳥赤水鳥等。訶責諸天誡不放逸。

> 問う。天界の諸天には僕や乗り物があるのでしょうか。 答えよう。経典に説かれている通りである。欲界の六天には僕や乗り物がある。僕とは従者であり、乗とは騎乗するものをいう。六欲天にはいずれも君臣・妻妾・尊卑・上下の区別があり、卑しい者は必ず尊い者に従い、下の者は上の者に随う。乗り物については、六欲天にはいずれも雑多な種類の畜生がいて、天人が遊びたいと思えば、思いのままにそれに乗る。あるものは象や馬に乗り、あるものは孔雀に乗り、あるものは龍に乗る。 『婆沙論』の説によれば、忉利天よりも下には象・馬・鳧・雁・鴛鴦・孔雀・龍などがすべて存在する。だが、焔摩天よりも上には、象や馬などの四足の生き物は一切いない。ただ、教放逸鳥・実語鳥・赤水鳥などがいて、諸天を戒め、逸楽にふけることのないよう諭している。

問曰。若無象馬四足眾生。彼天欲游何所乘耶。答曰。即如論說。還自釋言。雖無象馬諸天欲出。以福力故。即有象馬。隨心化起。任意所乘乘竟化滅。此教放逸鳥等遍在六天皆悉有之。常與諸天為師訶責放逸。不唯焰摩已上偏獨有也。

> 問う。もし象や馬、四本足の生き物がいないのであれば、天人はどのような乗り物に乗って遊ぶのだろうか。 答える。ちょうど論で説かれているように、自ら次のように解き明かしている。たとえ象や馬が存在しなくても、天人が外出しようとするときは、その福徳の力によって心のままに象や馬が現れ出て、思いのままに乗ることができる。そして乗り終われば、その姿は消え去ってしまう。 また、教えを説く放逸の鳥たちは、六つの天界すべてに遍く存在している。これらの鳥は常に天人たちに師として戒めを与え、彼らの放逸を叱り諭している。決して焔摩天より上の天だけに特別に存在しているわけではない。

問曰。此鳥既是畜生。何得與天為師。如正法念經說。此鳥本為人時於三天下教化之師。諸天本是所化眾生。由信受化故。布施持戒今得生天。其鳥本為師時。為名利破戒。其心不實。今作天鳥。然由教化微善力。故今得生天。由本化師故。與諸天為師。若見諸天放逸即來訶責。諸天見聞各生慚愧改不放逸。

> 問う。この鳥は畜生であるのに、なぜ天の師となることができるのか。『正法念経』に説かれるところによれば、この鳥はかつて人間であった時、三つの天下における教化の師であった。諸天は元々、その教化を受けた衆生である。彼らが教えを信じ受け入れ、布施や持戒を行ったことにより、今、天に生まれることができたのである。その鳥が師であった時、名誉や利益のために戒を破り、その心は真実ではなかった。そのため、今は天の鳥となったのである。しかしながら、教化によるわずかな善の力により、今、天に生まれることができた。かつて教化の師であったことにより、諸天の師となっている。もし諸天が放逸であるのを見れば、すぐに来て呵責する。諸天はそれを見聞きして、それぞれ慚愧の心を生じ、放逸を改めるのである。