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title: "六度集經 · 22 〔理家本生〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
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### （二二）

> （二十二）

「昔者菩薩為大理家，積寶齊國，常好濟貧惠逮眾生，受一切歸猶海含流。時，有友子，以泆蕩之行，家賄消盡。理家愍焉，教之曰：『治生以道，福利無盡。』以金千兩給子為本。對曰：『敬諾。不敢違明誨。』即以行賈。性邪行嬖，好事鬼妖，婬蕩酒樂，財盡復窮。如斯五行𣩠盡其財，窮還守之。時，理家門外糞上有死鼠，理家示之曰：『夫聰明之善士者，可以彼死鼠治生成居也。有金千兩而窮困乎？今復以金千兩給汝。』

> 昔、ある時、菩薩は大富豪でした。その財宝は国中に満ちるほどで、いつも貧しい人々や生きとし生けるものたちを助け、すべての帰依する者を海が流れを受け入れるように受け入れていました。 ある時、友人の子が、放蕩な行いによって家の財産を使い果たしてしまいました。大富豪はそれを哀れんで、彼に教えました。 「生活の道を正しく営めば、福徳による利益は尽きることがない。」 そして、千両の金を彼に与えて元手としました。 友人の子は答えました。「謹んで承りました。必ずやあなたの明らかな教えに背きません。」 こう言って、すぐに商売に出かけました。 しかし、彼は性質が邪な行いに傾き、怪しい神々を崇拝し、淫らで酒色にふけり、財産は尽きて再び貧しくなりました。 こうして五回も財産を使い尽くし、貧しくなっては、またそのもとに帰ってくるのでした。 その時、大富豪の家の門の外の、肥やしの山の上に死んだ鼠がいました。大富豪はそれを彼に示して言いました。 「本当に賢明な善い人は、この死んだ鼠をもって、生活を成り立たせ、財を築くことができるものです。あなたは千両の金を持っていながら、どうして貧しく困ってしまうのですか？今、再び千両の金をあなたに与えましょう。」

「時有乞兒，遙聞斯誨愴然而感，進猶乞食，還取鼠去，循彼妙教，具乞諸味，調和炙之，賣得兩錢；轉以販菜，致有百餘。以微致著，遂成富姓。閑居憶曰：『吾本乞兒，緣致斯賄乎！』寤曰：『由賢理家訓彼兒頑，吾致斯寶。受恩不報，謂之背明。』作一銀案，又為金鼠，以眾名珍滿其腹內，羅著案上。又以眾寶瓔珞其邊，具以眾甘，禮彼理家，陳其所以：『今答天潤。』理家曰：『賢哉，丈夫！可為教訓矣。』即以女妻之，居處眾諸都以付焉，曰：『汝為吾後，當奉佛三寶，以四等心救濟眾生。』對曰：『必修佛教矣。』後為理家之嗣，一國稱孝。」

> 昔、一人の物乞いがいました。彼は遠くからこの教えを聞いて、心を痛めました。そして、乞食をしながら進み、戻ってネズミを持ち去りました。その素晴らしい教えに従い、あらゆる味付けを乞い集め、ネズミを焼いて香り良く調理し、売って二銭を得ました。次にその金で野菜を商い、やがて百銭ほどの儲けを得ました。こうして小さなことから始めて次第に富み、ついには裕福な身分となりました。 ある日、閑かに暮らす彼は思い返しました。「元々私は物乞いだったのに、どうしてこのような財産を得られたのだろう？」と。そして悟りました。「あの賢者が家を治め、あの頑なな少年を教え導いたおかげで、私はこの宝を得られたのだ。恩を受けて報いないのは、恩義に背くことだ。」そこで、銀の盆を作り、金のネズミを造り、その中を様々な珍しい宝で満たし、盆の上に並べました。さらに、盆の縁を様々な宝で飾り、多くのご馳走を添えて、あの賢者のもとを訪れ、そのいきさつを述べて言いました。「今、天の恵みに報います。」 賢者は言いました。「立派だ、あなたは。まさに教え導くに値する人物だ。」そして、自分の娘を彼に娶せ、住まいや財産のすべてを彼に託して言いました。「あなたは私の後継者となり、仏・法・僧の三宝を敬い、慈・悲・喜・捨の四つの平等心で、众生を救い助けなさい。」彼は答えて言いました。「必ず仏の教えを修行いたします。」その後、彼は賢者の後継者となり、国中の人々がその孝行を称えました。

佛告諸沙門：「理家者，吾身是也。彼蕩子者，調達是。以鼠致富者，槃特比丘是。調達懷吾六億品經，言順行逆，死入太山地獄。槃特比丘，懷吾一句，乃致度世。夫有言無行，猶膏以明自賊，斯小人之智也。言行相扶，明猶日月，含懷眾生成濟萬物，斯大人之明也。行者是地，萬物所由生矣。菩薩慈惠度無極行布施如是。」

> 仏は諸々の修行者に告げられた。「理家とは、私自身のことである。あの遊蕩者は、調達（提婆達多）のことである。鼠によって富を得た者は、槃特（週利槃特）比丘のことである。調達は、私の六億の品々の経典を心に抱きながらも、言葉は順じていても行いは逆らい、死んで太山の地獄に落ちた。槃特比丘は、私の一句を心に抱いただけで、ついに悟りの世界に至った。言葉はあっても行いが伴わないのは、あたかも灯油がその明かりによって自らを消費するようなもので、これは小人(つまらない者)の知恵である。言葉と行いが互いに支え合うのは、明らかに太陽や月のようであり、すべての生きとし生けるものを包み込み、万物を救い助ける。これは大人(すぐれた者)の明らかな智慧である。行いというものは大地であり、万物はそこから生まれるのである。菩薩の慈悲深い布施の行いは、このように限りなく度し難いものである。」