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title: "六度集經 · 26 〔沙門本生〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
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### （二六）

> （二六）

「昔者菩薩為沙門行，恒處山林，慈心悲愍，眾生長苦輪轉三界，何以濟之？靖心思惟，索道弘原，當以拯眾。而衣有虱，身痒心擾，道志不立，手探尋之即獲虱矣。中心愴然，求以安之。正有獸骨，徐以置中矣。虱得七日之食，盡乃捨邁。展轉生死，菩薩得佛，經緯教化。」時，天大雪絕行路人，國有理家請佛并數千比丘，供養七日。厥心肅穆，宗室僉然，而雪未晞。佛告阿難：「勅諸沙門皆還精舍。」阿難言：「主人恭肅，厥心未墮，雪盛未息，分衛無處。」世尊曰：「主人意訖，不復供惠也。」佛即引邁，沙門翼從還于精舍。

> 昔、菩薩（悟りを求める者）が修行僧として暮らしていた時、常に山の中に身を置き、慈しみの心で全ての生きとし生けるものを哀れんでいた。衆生は長い間、苦しみの中で三界（欲界・色界・無色界）を輪廻し続けている。どうすれば彼らを救えるのだろうかと、静かに心を沈めて考え、悟りの道の広大な根源を探求し、衆生を救おうと志した。 ところが、その衣に虱（シラミ）がついていた。体がかゆくて心が乱れ、悟りの道への志が立たなくなってしまった。手で探し求めると、すぐに虱を見つけた。菩薩の心は深く悲しみ、虱を安心させてやろうと考えた。ちょうどそこに獣の骨があったので、ゆっくりとその中に虱を置いた。虱は七日間の食べ物を得て、それを食べ尽くしてから去って行った。 こうして生まれ変わり死に変わりする輪廻の中で、菩薩はついに仏陀となり、経典と教えをもって人々を教化された。 その時、大雪が降り、行き交う人々の道が絶たれた。国に一人の在家の信者がいて、仏陀と数千人の比丘（修行僧）を招き、七日の間供養した。その心は敬虔で、一族の者たちも皆同じ思いであったが、雪はまだ止まなかった。 そこで仏陀は阿難に告げられた。「すべての修行僧に、精舎（僧院）に戻るように伝えなさい。」 阿難は申し上げた。「主人は敬虔で、その心はまだ衰えていません。雪はまだ激しく降り続き、托鉢（たくはつ）に行く場所もございません。」 すると世尊（仏陀）は言われた。「主人の心はもう終わっている。もう供養を施すことはないだろう。」 仏陀はすぐに立ち去り、修行僧たちは両脇に従い、精舎に戻った。

明日世尊告阿難：「汝從主人分衛。」阿難奉教而行，造主人門。門人覩之，無問其所以也。有頃迴還，稽首長跪，如事啟焉。又質其原，「彼意無恒，何其疾乎？」佛即為具說如上。又曰：「阿難！吾以慈心濟虱微命，惠之朽骨七日之食，今獲供養盡世上獻。宿命施恩，恩齊七日，故其意止，不復如前也，豈況慈心向佛逮沙門眾？持戒清淨無欲高行，內端己心，表以慈化，恭惠高行比丘一人，踰施凡庶累劫盡情也。所以然者？比丘擁懷佛經，有戒、有定、有慧、解脫、度知見種，以斯五德慈導眾生，令遠三界萬苦之禍矣。」

> そこで世尊は阿難に告げられた。「あなたは施主の家から托鉢してきなさい。」阿難は教えの通りに行き、施主の家の門を訪ねた。門番は彼を見かけたが、その目的を尋ねようとはしなかった。しばらくして阿難が戻り、ひざまずいて頭を地につけ、事情を詳しく報告した。そしてその理由を尋ねた。「あの人の心は定まらず、どうしてあのように急変したのでしょうか？」仏は阿難に、先に述べた通り詳しく説明された。また言われた。「阿難よ、私は慈悲の心をもって小さな蚤（のみ）の命を救い、その朽ちた骨に七日の食を施した。今、私は（その蚤の生まれ変わりである施主から）この世で最も尊い供養を受けている。過去世で施した恩は七日分に等しかったため、その者の心はそこで止まり、以前のようにはならなかったのである。ましてや、仏や僧侶たちに対して慈悲の心を向ける者はどうであろうか。戒律を清らかに保ち、欲望がなく、高潔な行いをし、内に自らの心を正し、外には慈悲の教化を示す、恭敬と恵みに満ちた高徳の比丘（僧侶）一人に施すことは、長い劫（長い時間）の間、限りなく一般の人々に施すことに勝る。なぜならば、比丘は仏の経典を心に抱き、戒・定・慧・解脱・解脱知見という五つの徳をもって、慈悲をもって衆生を導き、三界（欲望界・色界・無色界）のあらゆる苦しみの災いから遠ざけるからである。」

阿難曰：「遇哉斯理家！面獲慈養如來、無所著、正真道、最正覺、道法御、天人師，并諸沙門，或有溝港、頻來、不還、應真，或有開士，建大弘慈將導眾生者乎！斯福難量，其若海矣；難稱，其猶地也。」

> 阿難が言いました。「なんと幸運なことでしょう、この在家の方は！あなたは直接、如来（慈愛をもって育てる者）、無所著（執着のない者）、正真道（正しい真実の道）、最正覚（最高の悟り）、道法御（道と法の導き手）、天人師（天と人の師）である尊い方にお会いし、肩を並べて供養を受けることができました。 さらに、多くの修行僧たち──ある者は預流果（溝港）に達し、ある者は一来果（一度だけ戻ってくる者）に、ある者は不還果（戻ってこない者）に、ある者は阿羅漢（完全に悟った者）になり──またある者は菩薩（開士）として、大きな広大な慈悲を確立し、多くの人々を導こうとしています。 この功徳は計り知れず、まるで海のように広大です。その大きさは測りがたく、まるで大地のようです。」

佛言：「善哉！阿難！真如所云。佛時難遇，經法難聞，比丘僧難得供養，如漚曇華時一有耳。」

> 仏は言われた。「よく言った、阿難よ。まさにそのとおりだ。仏に出会うのは難しく、経や教えを聞くのも難しく、比丘の僧に供養する機会も得がたい。それはまるで、優曇華の花がめったに咲かないのと同じだ。」

佛說如是，比丘歡喜，稽首承行。菩薩慈惠度無極行布施如是。

> 仏はこのようにお説きになりました。比丘たちは喜び、敬礼してその教えを実践しました。菩薩の慈しみと恵みは限りがなく、このように施しの行を実践されるのです。

## 六度集經卷第三

> 六度集経 巻第三