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title: "六度集經 · 38 太子墓魄經〔墓魄太子本生〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
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### （三八）太子墓魄經

> （三八）太子墓魄経

聞如是：

> このように私は聞きました：

一時佛在聞物國祇樹給孤獨園。是時佛告諸沙門：「往昔有國名波羅奈，王有太子，名曰墓魄，生有無窮之明，過去現在未來眾事，其智無礙，端正暉光，猶星中月。王唯有一子，國無不愛，而年十三，閉口不言，有若瘖人。王后憂焉，呼諸梵志，問其所由。對曰：『斯為不祥也，端正不言，何益大王？後宮無嗣，豈非彼害哉？法宜生埋之，必有貴嗣。』王即恧然，入與后議，后逮宮人靡不哀慟，嗟曰：『奈何太子祿薄，生獲斯殃。』哀者塞路，猶有大喪。具著寶服，以付喪夫。喪夫奪其名服，覩共為塚。墓魄惟曰：『王逮國人，信吾真瘖。』即默斂衣入水淨浴，以香塗身，具著寶服，臨壙呼曰：『爾等胡為？』答曰：『太子瘖聾為國無嗣，王命生埋，冀生賢嗣。』曰：『吾即墓魄矣。』喪夫視車霍然空虛，觀其形容，曜曜有光，草野遐邇猶日之明，聖靈巨勢，神動靈祇。喪夫巨細靡不懾驚，兩兩相視，顏貌黃青，言成文章靡不畏焉？仰天而曰：『太子靈德乃之于斯！』即叩頭陳曰：『願旋寧王，令眾不嗟。』太子曰：『爾疾啟王，云吾能言。』人即馳聞，王后兆民甚怪所以，心懽稱善，靡不悅豫，車馳人犇，殷填塞路。墓魄曰：『吾獲為沙門虛靖之行，不亦善乎？』意始如之。

> ある時、釈尊はシュラーバスティーの祇樹給孤独園に滞在されていた。その時、釈尊は修行者たちに告げられた。 「昔、バーラーナシーという国があった。その王には太子がいて、名をムクタといい、生まれながらにして尽きることのない智慧を持ち、過去・現在・未来のあらゆることを知り、その智慧には障りがなかった。その姿は端正で輝き、星の中の月のようであった。王には一人の子しかなく、国中がこの太子を愛さない者はいなかった。ところが、十三歳になった時、太子は口を閉ざして何も言わず、まるで唖者のようになってしまった。王妃はこれを憂い、バラモンたちを呼んでその理由を尋ねた。バラモンたちは答えた。『これは不吉なことです。たとえ端正でも言葉を話さないようでは、大王にとって何の益がありましょうか？後宮に世継ぎがいないのは、この太子のせいではないでしょうか？儀式に従って生き埋めにすべきです。そうすれば必ずや尊い世継ぎが生まれましょう。』 王はこれを聞いて悲しみ、王妃のもとへ行き相談した。王妃や後宮の女官たちは皆、悲しみ嘆き、涙を流して言った。『ああ、なんと太子は福運が薄く、生まれながらにしてこのような禍を受けるのでしょう。』人々の悲しみは道を埋め尽くし、まるで大きな葬儀のようであった。太子には立派な宝飾の衣を着せ、喪夫に託された。喪夫たちはその高貴な衣を奪い去ると、その身を奪い合って墓穴を掘った。 その時、太子ムクタは思った。『王も国中の人々も、私を本当に唖者だと信じ込んでいるのだな。』そこで彼は静かに衣を整えて川に入り、身を清め、香を身に塗り、再び宝飾の衣を身に着けて墓穴の縁に立ち、叫んだ。『お前たちは何をしているのか？』 人々は答えた。『太子は唖であり聾であり、国に世継ぎがいないため、王の命で生き埋めにし、賢い世継ぎが生まれることを願っているのです。』 すると太子は言った。『私こそがムクタである。』 喪夫たちが車を見ると、そこはもぬけの殻であった。太子の姿を見ると、その輝きは光り輝き、遠くの野原までもが太陽の光のように明るく照らされていた。聖なる霊力と偉大な力は、神々や精霊をも動かした。喪夫たちは老若を問わず皆、恐れおののき、互いに顔を見合わせ、その顔は青ざめた。太子の言葉は見事な文章となり、誰もが畏敬の念を抱いた。彼らは天を仰いで言った。『太子の聖なる徳は、このようなものだったのか！』そして即座にひれ伏して言った。『どうか王のもとへお戻りください。皆を嘆かせないでください。』 太子は言った。『急いで王に知らせよ。私が話せるようになったと。』使いの者は走って知らせると、王も王妃も民も皆、その不思議さに驚きながらも心から喜び、『素晴らしい』と称賛し、車を走らせ、人々は走り寄り、道は人で埋め尽くされた。 太子ムクタは言った。『私は修行者となり、静かに清らかな行いをすることができれば、それに勝るものはないのではないか？』彼の心はそう決まったのである。」

「帝釋即化為苑池樹木，非世所覩，即去眾寶衣化為袈裟。王到已，太子五體投地，稽首如禮，王即就坐聞其言聲，光影威靈，二儀為動，王喜喻曰：『吾有爾來，舉國敬愛，當嗣天位，為民父母。』對曰：『惟願大王！哀採微言。吾昔甞為斯國王，名曰須念，處國臨民二十五年，身奉十善育民以慈，鞭杖眾兵都息不行，囹圄無繫囚，路無怨嗟聲，惠施流布，潤無不周。但以出遊翼從甚眾，導臣馳除，黎庶惶懼；終入太山燒煮割裂，積六萬年，求死不得，呼嗟無救。當爾之時，內有九親，表有臣民，資財億載，眾樂無極，寧知吾入太山地獄燒煮眾痛無極之苦乎？生存之榮，妻子臣民，孰能分取諸苦去乎？惟彼諸毒其為無量，每壹憶之心怛骨楚，身為虛汗，毛為寒竪。言往禍來，殃追影尋，雖欲發言懼復獲咎，太山之苦難可再更，是以縮舌都欲無言。始十三年，而妖導師令王生埋吾。懼大王獲太山之咎，勢復一言耳。今欲為沙門守無欲之行，覩眾禍之門不復為王矣。願無怪焉。』王曰：『爾為令君，行高德尊，率民以道，過猶絲髮，非人所憶，以之獲罪，酷裂乃如之耶！如吾今為人主，從心所欲，不奉正法，終當何之乎？』即聽學道。王還治國以正不邪，遂致豐樂。墓魄即自練情絕欲，志進道真遂至得佛，廣說景模，拯濟眾生以至滅度。」

> 帝釈天はたちまち苑池の樹木に変じ、世にも見たことのないものとなった。さらに、貴重な宝衣をすべて袈裟に変えた。 王がそこに到ると、太子は五体を地に投げ打ち、礼法に従ってひれ伏して拝した。王はすぐに座につき、その言葉の響きと、光り輝く威厳ある姿に、天地が動くかのようであった。王は喜んで語りかけた。 「お前が生まれてこのかた、国中の者がお前を敬い愛してきた。やがて天の位を継ぎ、民の父母となるべきである。」 これに対して太子は答えた。 「どうか大王よ、私のささやかな言葉を哀れとお思いください。私はかつて、この国の王であり、『須念』と名乗っていました。国を治め民を統べること二十五年、身をもって十善を実践し、慈しみをもって民を育みました。鞭や杖、さまざまな武器を使うことはすべてやめ、牢獄には囚人がおらず、道には恨み言を言う声もありませんでした。施しは広く行き渡り、その恩恵は行き届かないところがありませんでした。 しかし、ただ遊覧に出かける際に付き従う者が大変多く、先導する臣下が追い散らすため、民衆は恐れおののきました。その結果、ついには地獄に落ちて焼かれ、煮られ、切り裂かれることになりました。その苦しみは六万年もの間続き、死にたくても死ねず、叫び求めても救いがありませんでした。 あの時、内には九人の親族、外には臣下や民、財宝は数えきれぬほどあり、楽しみはこの上なくありました。ところが、誰が私が地獄で焼かれ煮られる、この言葉に尽くせぬ苦しみを受けていることを知っていたでしょうか。生きている時の栄華、妻や子、臣民たち、誰がその苦しみの一片でも代わりに受けてくれたでしょうか。 あの毒の多さは計り知れません。思い出すたびに心は痛み、骨は寒気を覚え、全身には冷や汗が出て、毛が逆立ちます。過去の行いが未来の禍を招き、災いは影や足跡のように追いかけてきます。語ろうとしても、また罪を犯すことを恐れ、地獄の苦しみは二度と味わいたくないので、舌を縮めて何も言いたくなくなってしまいました。 そして十三年前、邪悪な導師が王をそそのかして、私を生き埋めにさせました。大王が地獄の罪を負うことを恐れ、あえて一言申し上げるのです。今、私は沙門となって、欲のない行いを守り、すべての災いの門を見たいと思います。もう二度と王にはなりません。どうか不思議に思われませんように。」 王は言った。 「お前は立派な君主であり、行いは高く徳は尊く、道をもって民を導いてきた。過ちはごくわずかで、人が記憶するほどのものではない。そのために、これほどまでに残酷な罰を受けるとは、なんということだ。もし今、私が人の主として心のままにふるまい、正しい法を守らなければ、結局どこへ行くことになるのか。」 王はすぐに太子が学道することを許した。王は国に帰り、正しく邪なことをしないで国を治めたので、国は豊かで楽しくなった。墓魄（太子）は自ら心を鍛え、欲望を断ち切り、真理の道に志を進め、ついに仏陀となることができた。そして広く教えの手本を示し、衆生を救い済度してついに涅槃へと至ったのである。

佛告諸比丘：「時墓魄者，吾身是也。父王者，今白淨王是也。母者，吾母今舍妙是也。夫榮色邪樂者，燒身之鑪矣。清淨澹泊，無患之家矣。若欲免難離罪者，無失佛教也。為道雖苦，猶勝處夫三塗，為人即遠貧窶，不處八難矣。學道之志當如佛行也，欲獲緣一覺、應真、滅度者，取之可得。」

> 仏は比丘たちに告げられた。「あの墓魄とは、我のことである。父王とは、今の白浄王のことである。母とは、我が母・舎妙のことである。栄華や色欲の邪な楽しみは、身を焼く炉のようなものだ。清らかで穏やかな境地こそ、煩わしさのない安らぎの家である。もし苦難を逃れ、罪を離れたいと願うなら、仏の教えを失ってはならない。道を求めることは苦しいが、それでも三悪道にいるよりはまさっている。人として生まれれば貧しさから遠ざかり、八つの難に陥ることもない。学道の志は、仏の行いに従うべきである。縁覚、阿羅漢、涅槃を得たいと望むなら、努力すれば必ず得られるのだ。」

佛說經竟，諸沙門莫不歡喜，稽首作禮。

> お釈迦様がこの教えを説き終えられたとき、すべての修行者たちは皆、喜びの心に満たされ、深く頭を下げて敬意を表しました。