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title: "六度集經 · 65 佛以三事笑經〔清信士本生〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
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### （六五）佛以三事笑經

> （六五）仏が三つの事柄で笑う経

「昔者菩薩，為清信士，歸命三尊，慈弘仁普，恕濟群生，守清不盜，布施等至，貞淨不妷，觀捐內婬，信同四時、重如須彌，絕酒不飲，尊孝喻親，以正月奉六齋精進無倦，所生遇佛，德行日隆，遂成如來、無所著、正真覺、道法御、天人師，教化周旋。」

> 昔、菩薩は清らかな信心を持つ在家の者であり、三宝（仏・法・僧）に帰依していました。その心は慈悲深く、広くあまねく及んで、すべての生きとし生けるものを思いやり、助けていました。 清らかな戒律を守り、盗みをせず、施しを惜しみなく行いました。心身は貞節で清らかであり、不道徳な行いを遠ざけ、内なる欲望を断ち切りました。 その信心は四季の巡るように確かで、その重みは須弥山のように揺るぎなく、酒を断ち、飲みませんでした。そして、父母への孝行を何よりも尊び、実の親にも勝る篤い思いやりを示しました。 特に正月には六斎日を守り、怠ることなく精進に励みました。その功徳により、生まれるたびに仏に出会い、徳行は日ごとに高まり、ついには如来、阿羅漢、正等覚者、道を説くすぐれた導き手、天と人の師である仏陀の境地に至り、教えを広めて人々を導かれたのです。

時行歷市，覩一老翁斗量賣魚，哀慟㘁曰：「怨乎皇天，吾子何咎而早喪身？子存賣魚，吾豈勞乎？」佛覩其然，笑之，口光五色。度市斯須，又覩大猪浴尿行路，佛復笑焉。阿難整服稽首而白：「屬笑人多，莫由敬質；而今重笑，必有教詔。願釋眾疑，為後景模。」

> ある時、仏陀が街を歩いておられると、一人の老翁が升で魚を量って売っており、悲しみのあまり叫び声をあげて言いました。「ああ、天よ、なぜ我が子に罪もなく早く死なせたのか。子が生きていて魚を売ってくれれば、私はこんな苦労をしなかったのに。」仏陀はそれを見て笑われ、口からは五色の光が放たれました。街を通り過ぎるうちに、またもや大きな豚が道で尿浴びをしているのをご覧になり、仏陀は再び笑われました。そこで阿難が衣を正し、頭を下げて申し上げました。「先ほど笑われた時は、多くの人々がおられましたので、あえて詳しくお尋ねしませんでした。しかし今また笑われたのは、きっと何か教えがおありなのでしょう。どうか皆の疑問を解き、後世の模範となるようお願いいたします。」

世尊告曰：「阿難！吾笑有三因緣。一曰，觀彼老翁之愚，其為弘普矣。日以𦌘網殘群生命，蓋無絲髮之惻隱；禍子自喪，而怨諸天呼㘁驚怖！斯下愚之行，非二儀之仁，賢聖之恕也，以是笑耳。昔者飛行皇帝，植福巍巍，志憍行逸，今為斗量魚，斯二矣。不想人天，壽八十億四千萬劫，意專著空，不能空空還于本無，福盡受罪今在斗中，斯三矣。」

> 世尊が告げられた。「阿難よ、私が笑うのには三つの理由がある。 第一に、あの老翁の愚かさを見たからである。その愚かさは実に広大である。日々網で生き物の命を奪いながら、少しの憐れみもない。自らの行いで子を失い、天を恨み叫び恐れる。まさに下賤な愚か者の行いであり、天地の慈悲や聖人の思いやりとは無縁である。そのために笑ったのである。 昔、転輪聖王は計り知れない福徳を積みながら、心は驕り行いは逸し、今では升で量られる魚となった。これが第二の理由である。 天人の寿命が八十億四千万劫もあることを考えず、心を虚無に専らとどめながら、なお空を空とせず、根本の無に還れず、福が尽きて罪を受け、今や升の中にいる。これが第三の理由である。」

阿難質曰：「飛行皇帝，逮彼尊天，其德巍巍，何故不免於罪乎？」

> 阿難が問いかけました。 「転輪聖王はあの天の尊い方々を超えるほどの、はたまた高くそびえるほどの徳があるのに、どうして罪から免れないのでしょうか？」

世尊曰：「禍福非真，當有何常？夫處尊榮施四等恩，覺四非常，可免彼禍矣。若因貴自遂，快心從邪，福盡受罪，自古來然。殃福追己，猶影尋形、響之應聲，豈有貴賤哉？惟吾前世為清信士，時，有隣人好奉鬼蠱，姦𦾨為群，不信作惡重禍響應。每至齋日，吾要入佛正真之廟，聽沙門眾散說淨法，以為德本，防絕凶禍，而子婬荒，訛云有務。吾詣佛廟，子往亂道。自斯之後，吾之所生，逢佛聞法與沙門齊志，德行日隆，遂成如來、無所著、正真道、最正覺、道法御、天人師，為三界尊，號曰法王。隣人好事鬼術，殘賊群生，泆蕩女色，酒亂不孝，自謂得志。輪轉三道，苦毒無量。吾已為佛，子續為臭蟲，是以笑之。」

> 世尊がおっしゃいました。「禍（わざわい）と福はどちらも真実のものではなく、どうして永遠に変わらないものがあるだろうか。高い地位や栄誉にあっても、四等の恩恵を施し、四つの無常を覚れば、その禍を免れることができる。もしも地位の高さに恃んで思うままに振る舞い、心の赴くままに邪道に従えば、福が尽きたときに罪を受けることになる。これは昔からそうなのだ。禍も福も人に追いかけてくる。それは影が形に従い、響きが声に応じるようなものである。そこに貴賤の区別などあるだろうか。 私が前世で清信士（在家の清らかな信仰者）であったとき、隣人に鬼神や呪術を好み、悪だくみを仲間と行い、悪行を重ねれば大きな禍が応報として返ってくると信じない者がいた。斎日のたびに、私は彼を誘って仏の真実の御堂に行き、沙門の僧たちが清らかな法を広く説くのを聞かせた。それを功徳の基本として、凶悪な禍を防ぎ断とうとしたのだ。ところが、その隣人は道楽にふけり、『用事がある』と偽って言った。私が仏寺に行けば、彼は邪道へと赴いたのである。 それ以来、私が生まれるたびに、仏に出会い法を聞き、沙門と同じ志を持ち、徳行が日々高まっていき、ついには如来、無所著、正真道、最正覚、道法御、天人師となり、三界の尊として『法王』と称されるようになった。隣人は鬼神の術を好み、多くの生き物を害し、女色に溺れ、酒に乱れて不孝を重ね、思いのままになったと得意になっていた。しかし、彼は三つの道を輪廻し、苦しみ毒しめること限りなかった。私はすでに仏となったが、彼は相変わらず臭い虫として生まれ続けている。だから笑ったのだ。」

佛告阿難：「吾累劫稟經採義，親樂沙門，獲斯巍巍矣。菩薩銳志度無極精進如是。」

> 仏は阿難に告げられた。「私は多くの劫を経て経典の意味を学び取り、修行者であることを自ら喜び、この偉大なる境地を得たのです。菩薩が鋭い志を持ち、限りない精進を積むのも、また同じことです。」