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title: "六度集經 · 71 彌勒為女人身經〔帝釋本生〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
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### （七一）彌勒為女人身經

> 弥勒が女人身であった経

「昔者菩薩，為天帝釋，位尊榮高，其志恒存非常、苦、空、非身之想。坐則思惟，遊則教化，愍愚愛智，誨以智慧，精進無休。覩其宿友，受婦人身為富姓妻，惑乎財色，不覺無常，居市坐肆。釋化為商人，佯有所市，至婦人前住。婦人喜悅，令兒馳歸，取獨坐床欲以坐之，商人乃熟視婦人而笑。婦執高操，意怪商人住笑非宜。兒取床遲，還即搏之，商人又住笑。側有一兒，播鼗踊戲，商人復笑之。有父病者，子以牛祠鬼，商人亦笑之。有一婦人抱兒仿佯，行過市中，兒刮面頰，血流交頸，商人復笑之。於是富姓妻問曰：『君住吾前含笑不止，吾屬搏兒，意興由子，子何以笑？』商人曰：『卿吾良友，今相忘乎？』婦人悵然，意益不悅，怪商人言。商人又曰：『吾所以笑搏兒者，兒是卿父，魂靈旋感，為卿作子，一世之間有父不識，何況長久乎？播鼗兒者本是牛，牛死靈魄還為主作子，家以牛皮用貫此鼗，兒今播弄踊躍戲舞，不識此皮是其故體，故笑之耳。殺牛祭者，父病請活，求生以殺，不祥之甚；猶服鴆毒，以救病也。斯父方終，終則為牛，累世屠戮受禍無已。今此祭牛，命終靈還，當受人體，免脫憂苦，故復笑之。刮母面兒，兒本小妻，母是嫡妻，女情專婬，心懷嫉妬，常加酷暴。妾含怨恨，壽終則生為嫡妻子，今來報讎，攫面傷體，故不敢怨耳，是以笑之。夫眾生之心其為無恒，古憎今愛，何常之有？斯皆一世見而不知，豈況累劫？經曰：「以色自壅者，盲於大道，專聽邪聲者，不聞佛音之響也。」吾是以笑之耳。世榮若電恍惚即滅，當覺非常，莫與愚竝，崇修德操，六度妙行。吾今反居，後日必造子門。』言竟忽然不現，婦悵然而歸。齋肅望慕，一國咸聞，王逮群寮靡不欽延。

> 昔ある時、菩薩は天帝釈として、位は高く、栄えある身でありながら、常に無常・苦・空・無我の想いを抱いていました。座してはそれらを思惟し、遊行しては人々を教化し、愚かな者を哀れみ、智者を愛し、智慧をもって教え諭し、精進して休むことがありませんでした。 ある時、かつての友が婦人の身となり、裕福な家の妻となって、財物と色欲に惑い、無常を悟らずに店に座しているのをご覧になりました。天帝釈は商人に姿を変え、何かを買うふりをして、その婦人の前に立ちました。婦人は喜び、子供を家に走らせて一人用の座榻を持って来させ、商人を座らせようとしました。すると商人は婦人をじっと見つめて笑いました。婦人は慎み深い心を持っていたので、商人が立ち止まって不適切に笑うのを怪しく思いました。子供が座榻を持ってくるのが遅かったので、帰って来ると婦人は子供を打ちましたが、商人はまたも立ち止まって笑いました。その傍らで別の子供が鼗（でんでん太鼓）を鳴らして飛び跳ねて遊んでおり、商人はまた笑いました。また、父親の病む者がいて、その息子が牛を殺して鬼に供えていましたが、商人はまたも笑いました。そして、一人の婦人が幼子を抱いて通りをさまよい、市場を通り過ぎると、その子が母の頬を掻きむしり、血が首筋に流れていましたが、商人はまたも笑いました。 そこで裕福な家の妻が問いました。「あなた様は私の前に立ったまま含み笑いをやめず、私が子供を打ったのも、あなたに起因することですが、いったい何がおかしいのですか？」 商人は答えました。「あなたは私の良き友であった。今は忘れてしまったのか？」 婦人は心を曇らせ、ますます不快に思い、商人の言葉を怪しみました。すると商人が言いました。 「私が子供を打つあなたを見て笑ったのは、その子はあなたの父親で、その魂が巡り来てあなたの子となり、一世の間に父と知りながら認識できない。ましてや長い時の流れにおいてはなおさらだ。 鼗を鳴らすあの子は元は牛であった。牛の死後、その霊魂はもとの主人のもとに帰り子となった。その家では牛の皮でこの鼗を作ったのだが、その子は今、鼗を鳴らして跳ね踊り遊びながら、その皮がもとの自分の身体であることを知らない。だから笑ったのだ。 牛を殺して祭る者については、父の病を治そうとして生を求め、殺すことでかえって大いなる不祥を招いている。それはあたかも鴆毒を飲んで病を救おうとするようなものだ。この父はまさに命終わろうとしており、死ねば牛となり、幾世にもわたって屠られ、禍を受けること限りない。今この祭られる牛は、命終われば霊魂は戻り、やがて人の体を受けて苦しみから免れるだろう。だからまた笑ったのだ。 頬を掻く子を持つ母については、この子はもとは側室であった。母は正妻であり、女心は淫らにふけり、嫉妬を抱いて常に酷い暴力を加えていた。側室は恨みを抱き、命終わっては正妻の子として生まれ、今、報復に来て顔を掻き傷つけているのだ。だから怨むこともできない。私はそれを笑ったのだ。 そもそも衆生の心は定まりなく、昔憎んだものを今愛するなど、何が常なるものがあろうか？これらはすべて一世の間にあっても見抜くことができない。ましてや幾劫もの昔のことならなおさらだ。 経にも『色によって自らを覆う者は、大道に対して盲目であり、もっぱら邪な声に耳を傾ける者は、仏の音声を聞くことができない』とある。私はそのために笑ったのだ。世の栄華は稲妻のごとく、たちまち消え去る。無常を覚り、愚か者と交わらず、徳操を高く修め、六度の妙行を実践せよ。私は今、帰るが、後日必ずあなたの家を訪れよう。」 言い終わると、たちまち姿は消え、婦人は心乱れて家に帰りました。そして心を斎し、清らかに過ごし、一途に商人を慕い求めました。そのことが国中に聞こえ、王をはじめ百官の者たちも皆、敬い招かぬ者はありませんでした。

「商人後果在門，狀醜衣弊，曰：『吾友在內，爾呼之來。』門人入告，具以狀言。婦出曰：『爾非吾友矣。』釋笑而云：『變形易服，子尚不識，豈況異世捨斯受彼乎？』重曰：『爾勤奉佛，佛時難值，高行比丘難得供事，命在呼吸無隨世惑。』言畢不現。舉國歡嘆矣，各執六度高妙之行。」

> ある商人が後日、門のところに現れました。その姿は醜く、衣服はぼろぼろでした。彼は言いました。「私の友人が中にいる。呼び出してほしい。」 門番が中に入って知らせ、その様子を詳しく伝えました。すると、女性が出てきて言いました。「あなたは私の友ではありません。」 僧は笑って言いました。「姿を変え、衣服を変えれば、あなたも見分けがつかないでしょう。ましてや、死後、この世を捨てて別の世に生まれ変わったら、なおさらではないでしょうか。」 さらにこう言いました。「あなたは熱心に仏に仕えているが、仏に出会うことは滅多にない。高徳の修行僧に仕えることも難しい。命は呼吸の間にある。世の迷いに惑わされてはいけない。」 そう言い終えると、姿は消えました。 国中の人々が喜びと感嘆の声をあげ、それぞれが六波羅蜜の高遠な修行を実践しました。

佛告鶖鷺子：「爾時婦人者，彌勒是也。天帝釋者，吾身是也。菩薩銳志度無極精進如是。」

> 仏がシャーリプトラに告げられた。「その時の女性こそ、弥勒菩薩である。天帝釈こそ、私の身である。菩薩が鋭い志を持って、このように限りなく精進されたのである。」